こじらせ母の育児と育自

高齢出産のち、2歳差姉弟の育児。

辛さ8割、楽しさ2割

予防接種以来、私は新たな不安で頭がいっぱいだった。娘は何か障害があるのではないか、と。
私はまた検索魔になった。キーワードは「赤ちゃん 自閉症」、「赤ちゃん 発達障害」。検索すると私と同じような不安から質問している人が沢山いた。回答には当事者のご家族が赤ちゃんの頃の様子を書いていたり、障害の特徴や傾向を挙げていた。目が合いにくい。睡眠障害の傾向がある。感覚過敏。多動。娘に当てはまる項目を見ては、

「やっぱりそうなのかもしれない…」
「小児科や保健センターに相談しようかな…」

と落ち込み、娘に当てはまらない項目を見ては、

「ただ元気が良過ぎるだけだ!
「この月齢じゃ診断もつかないから心配しても仕方ないや!」

と吹っ切った。安心したくて検索したのだからそれで終わりにすればいいものを、なぜかまた不安になる情報をわざわざ見てしまう。思考と感情が日替わり、いや時替わりでネガティブとポジティブを行ったり来たりしていた。
情報収集は占いみたいなものだ。良い結果だけを信じられればいいけど、良くない結果に気を病むくらいなら何も知らないままの方が幸せだったりする。

そういえば、新生児訪問の時に助産師に授乳方法をダメ出しされた。初めての育児で右も左もわからず自分のやり方に自信がなかった私は、ダメ出しをあっさり鵜呑みにした。まさに占い師に洗脳された信者のように。そして言われるがまま助産師のやり方を即実践したら、それまで不器用ながらも頑張って飲んでくれていた娘が全然飲まなくなって、私は乳腺炎になった。

本当に不安なことがあれば育児相談なり病院なりに行って然るべき専門家に見てもらうのが一番だし、誰に何を言われようとその親子に合ったやり方がある。最近ようやくそう思えるようになった。
でもこの頃の私はネット検索の深みに嵌まり、人の意見に流され、氾濫する情報に飲まれ溺れていた。妊娠中に待ち焦がれていた娘との暮らしは、8割辛くて残り2割の楽しささえ見失いかけていた。娘の行動をいちいち不安と疑いの目でしか見られなくなり、検索、検索で携帯の画面を見ている時間が増えた。かわいい仕草や表情に目がいかなくなっていた。そんな私の側にいた娘こそ、8割辛い日々を過ごしていたことだろう。

こんな半分ノイローゼの状態は娘が4ヶ月過ぎまで続いた。

喃語で空耳アワー

娘はキーキー、キャーキャー以外にも1日中何かしら喋っている。ひとり遊びしながらずっと喋っている。

「バッパ!バッパ!」
「まんまんまんまん」
「あうあ〜あうあ〜」

という喃語をひたすら繰り返すこともあれば、

「※△$○×¥?…&〆%◻︎!」

などと宇宙語で誰かと会話しているような時もある。そんな娘の言葉がたまにミラクルを起こす。

「あんまんま!あんまんま!」

と言う娘の手にはアンパンマンのボールが握られていた。つかまり立ちする時には、

「んちょ!んちょ!」

と掛け声で気合いを入れ、ご飯の支度をしていると、

「まだー!まだー!」

と催促する。

「うちの子喋れる!」

と思った。だってテロップあれば10人中8人はそう聞こえるレベル。

うかれたっていいじゃないか
おやばかだもの

それはつまりテロップがなければ所詮宇宙語。空耳ア〜ワ〜♪
というか同じシチュエーションで同じ発語がない時点でただの偶然。でも一生懸命喋る練習をしているのは確か。これがあと3年くらいしたらある程度会話できるようになるんだから、子どもの脳の成長と耳の良さはすごい!

比べられない不安。比べてわかった事実。

母娘でずっと家にこもりきりなのが良くないのかもしれないと思い、生後1ヶ月からベビーカーで散歩に行くようになった。近くのコンビニまで行って帰って30分くらい。
散歩中は泣いたり叫んだりしなかった。ぼんやりした視力だったろうけど、目をキョロキョロさせて興味深そうにしていた。私もいい息抜きになった。おやつや飲み物を買ったり、何より店員さんと簡単な会話をするだけで生き返る思いがした。私は「この子は外が好きなんだ」と、初めて娘が楽しめるものを見つけることができて嬉しかった。30分だった時間は1時間になり、時には2時間くらい歩き続け、午前と午後の2回出掛けることもあった。散歩中はふたりで穏やかな時間を過ごせた。

2ヶ月を迎えて予防接種を受けに行った。小児科までの道中はいつもの散歩と同じように大人しかった。ところが小児科に入った瞬間、娘はみるみる顔が引き攣り歪み、金切り声をあげて泣き叫んだ。まだ何もしていないのに明らかに怯えて泣いていた。注射される時には暴れて泣き入りひきつけを起こした。
それでも私にしてみれば家にいる時のいつもの娘の泣き方だし、病院で注射されるなんて大人でも嫌なものだから仕方ないと驚きはしなかった。でも、

「いつもこんな?」

という看護師の言葉で不安のスイッチが入ってしまった。

「…いつもこんな感じです」

と答えた。私はとにかく娘を褒めてなだめた。でもなかなか泣き止まない。まだロタウイルスの生ワクチンが残っている。私は焦った。

「すごいわね〜!それじゃ飲ませられないからちゃんと泣き止ませてね」

追い討ちをかけるように看護師が言った。今思えばその看護師は笑っていたし、たぶん「手が掛かって大変ね」という意味で出た言葉なんだと解釈できるけど、その時の私は「育て方が悪い」と言われているように感じてしまった。そんな時にふと周りを見れば、娘以外の子は大人しく抱かれ、注射を打たれて泣きはしてもすぐに泣き止んでいた。

産後すぐに娘が入院していたこともあり、同じくらいの月齢の子やお母さんたちと同席するのは実はこの日が初めてだった。それは望んでいたことだった。でもすぐに後悔した。他の子と比べるのは良くないと思いつつ、「なんでうちの子だけ…」と思ってしまったから。「赤ちゃんはみんな泣くし、お母さんはみんな大変」という色々な人からのアドバイスに「本当に他の赤ちゃんもお母さんも私たちと同じなの?」と疑問に思いながらも、比べる子がいなかったこれまでは何とか踏み止まっていた気がする。それがそうではないことを初めて目の当たりにして、漠然としていた不安は比べることでくっきり浮き彫りになった。「育てにくい…」と。

この日を境に娘の人見知りと場所見知りが始まった。それからはコンビニやスーパーでも大泣きするようになり、散歩も近所をぶらつくのが精一杯になった。そして私も家の中でも外でも娘がいつ泣くかビクビクするようになり、段々人と関わることを避けるようになっていった。

孤育て

悩みや問題はそれがあること自体ストレスになる。でもその理由や原因がわからないことはよりストレスになる。どうにか解決しようにも原因がわからなければお手上げだ。娘がなぜ寝ずに泣いて暴れるのかが知りたかった。どうすれば落ち着くのかも。といっても周りに相談できる知り合いはおらず、情報源はもっぱらネット。娘が比較的寝る夜中に検索魔になった。

「赤ちゃん 寝ない」、「赤ちゃん 泣き方激しい」、「赤ちゃん 暴れる」で検索。私と同じような悩み相談が沢山あった。回答には、おむつやおっぱいでなければ暑さや寒さのせいではないか、具合が悪いのではないか、ゲップが出なくて苦しいからではないか、などのよくあるアドバイス。その通り。でもそれで解決しないから悩んでいる。
「赤ちゃん 寝かしつけ」で検索。胎内環境に近づけると良いとある。おくるみに包んだり、スーパーの袋をガサガサさせたり、シーッと声を出したり。娘が好きな抱っこの縦揺れスクワットもネットで知った。明かりを消し、子守唄を歌い、眠くなるオルゴールをかけた。寝そうで寝ない。寝なかった。

ネット以外で頼れるのは遠方に暮らす実家の母。里帰りしなかったので、たまに泣きついては家事育児を手伝ってもらっていた。
 
「構い過ぎなんじゃないの?」
「ちょっと位放っておいても大丈夫よ。泣かせた方が肺が強くなるって言うよ」
「お母さんが寝かせよう、泣かないようにしようって神経質だと赤ちゃんに伝わるよ!笑顔!笑顔!」

そう言って母が寝かしつけると確かに娘は寝た。

生後1ヶ月の新生児訪問の助産師にも相談してみた。

「よく泣くのは元気な証拠だよ。赤ちゃんは泣くのが仕事だからね」
「睡眠が足りてないことはないから大丈夫だと思うわよ。本当に眠い時は寝るから」
「他のママたちも同じだよ。みんな頑張ってるよ」

そう言って助産師が寝かしつけるとやっぱり娘は寝た。

新生児訪問で産後うつを心配されたのか、今度は保健師がやってきた。

「うんうん、わかります!大変ですよね〜。眠れないと辛いですよね〜。私でよければお話し相手になりますよ〜」

と、親身になってくれるこの保健師。悪い人ではないけど育児経験がなかった。
が、娘は泣かずに抱っこされていた。

実際、新生児の頃は私以外の人の方が構う方が娘は落ち着いていた。ところが、母や助産師、保健師が帰り、ふたりきりになると途端に泣き出す。
「私のことが嫌いなのかもしれない」と思った。「私がちゃんと産んであげなかったから…。寂しい思いをさせたから…」だと。自責の念はいつしかネガティブな自己暗示になっていった。原因は自分。泣けばとにかく抱っこをする。それが解決策。だから母が言うちょっと放っておくということは、私にしてみれば自分の怠慢でしかなかった。

もちろん母が私を心配して励ましてくれていることはわかる。私も弟も「手がかからない子だった」と言う母は、自分が子育てしていた時を思い出してアドバイスしてくれているのだろう。アドバイスは大体自分の経験則からするものだから。助産師も保健師もそうなのだろう。そう考えてふと思った。
今、同じくらいの月齢の赤ちゃんを育てている人はどんな感じなんだろう?娘と同じような子はいるのかな?そうか、私は解決策を知るよりも私と同じようなことで悩んでいる人と「そうだよね!」、「わかる!わかる!」と共感し合いたいんだ。
でも、悲しいかな。ネットでも現実でも娘と同じような子、そういう子を育てているお母さんとは知り合えなかった。子育ては孤育てとは上手いこと言う人がいるなあ。確かに私は孤独な子育てをしていた。

お姉さんの卒業式

朝、おかあさんといっしょのたくみお姉さんが卒業の挨拶をしていた。子どもにショックを与えないように明るく笑顔でお別れを伝え、新しいお姉さんの紹介もしていた。送り出すお兄さんたちも2人のお姉さんたちとはみんな友だちなんだよとしっかりフォロー。さすが教育テレビ。さすが子どもたちのアイドル。
娘は「お姉さんがもう1人増えた♪」とでも思っているようでにこにこしていたけど、私はもう寂しくて寂しくて。そうしたら、このタイミングで「ありがとうのはな」を合唱しちゃった。母ちゃん、堪らず涙、涙、鼻水…。

娘とおかあさんといっしょを見るようになってまだ半年くらいだけど、育児が一番辛い時からお姉さんの歌に癒され、励まされてきた。ここ2ヶ月くらいで娘の笑顔はぐっと増えた。ついでにたかが子ども番組と斜に構えていた夫も、最近は歌を口ずさむようになっていた。

娘を通して改めて見る子ども番組に童心に返りながら、私は母親らしく、夫は父親らしくなれた気がする。なるほど、教育テレビは親を教育するテレビでもあった。

テレビ越しであっても言いたい。
たくみお姉さん、ありがとう。あつこお姉さん、これからお世話になります。

…そんな母ちゃんに娘、引き気味。見ちゃいけないものを見た後みたいなよそよそしさでひとり遊びを始めた。ええ、ええ、あなたの卒園、卒業式も泣きますとも。

最近、専業主婦でいることがちょっぴり肩身が狭い

一億総活躍社会って専業主婦じゃ活躍できませんか?輝けませんか?私は今、専業主婦で仕事はしていないけど、活躍したいし輝きたいと思っています。

そう、例えるなら働く人が輝く金なら専業主婦はいぶし銀。夫や子どもが輝けるようピッカピカに磨き上げているんです。でも専業主婦を磨いてくれる人はいないからセルフケアです。だからちょっとくすんでいます。

働いていない私と娘の分、夫が一生懸命働いて社会的な義務と役割を果たしてくれています。私はそんな夫が心置きなく仕事に取り組めるよう、家事をすることでサポートしています。そしてあと20年後くらいに社会に貢献できるよう娘を育てています。

ただ、私は今までしていた仕事が好きです。また働きたいと思っています。でもそれは娘が自分で食事をしてトイレに行けるくらいに成長してからの話。どうかそのくらいまでは育児に専念させてください。

働いている女性、専業主婦の女性。どちらかが生きにくくなる世の中であってほしくないです。保育園が沢山あったとしても敢えて働かない選択をする人もいます。経済的に困窮していなくても敢えて働く選択をする人もいます。どんな生き方を選択しても誰もが幸せになれる一億総幸福社会になるように。国や政治を変えるなんて大袈裟にしなくても、みんながお互いを尊重し合えば変わることもあるような気がします。

暴れる子

娘はよく動く。大人しいのは寝ている時だけ。おもちゃを掴んでは投げ、握っては舐め。はいはいもずり這いもまだなのに、手頃な高さのテーブルやソファを使ってつかまり立ちの自主練に励んでいる。思えば新生児の頃は動き過ぎてしょっちゅう布団から落ちていたし、入院中の保育器の中でも自転車を漕ぐように脚を動かしていた。胎動が激しくて生まれる直前まで蹴っていたし、それこそまだ数センチしかなかった胎児の頃から手足をバタつかせていた。
エコーを見る度、お腹を蹴られる度、元気が一番と微笑ましく思っていた。でも生まれてからは元気も過ぎたるは及ばざるが如しなのかもしれないと思うようになった。

抱っこしても暴れるから、しばらくはおくるみが必須アイテムだった。今はもうくるめない。というか、くるんでも飛び出す。それはもう大胆かつ華麗。イリュージョンで脱出した引田天功か、さなぎから生まれるモスラか。腱鞘炎になったのは首を支えたからだけじゃない。活きの良い獲れたてピチピチのかつおを常に抱き続けると思ってもらえるとわかりやすいと思う。
2ヶ月の終わり頃になると授乳中でも暴れるようになった。遊び飲みなんてかわいいものじゃない。飲みながら蹴るわ殴るわの正に暴れ飲み。乳首は切れるし、飲み残しで乳腺炎になるしで授乳が荒行にしか思えなかった。
4ヶ月になる頃、奇跡的に夜だけ添い寝で寝かしつけられるようになった。が、少し楽になったのも束の間、寝返りができるようになると寝入り端にひと暴れするようになった。泣かないけど暴れる。布団を剥いだり、寝返りしたり、となりで寝たふりをする私の顔をバチバチ叩き引っ掻き、髪を毟る。それも嬉しそうに。どSなのか?と冗談半分、何か障害があるんじゃないか?と不安半分だった。

赤ちゃんだからまだわからない。赤ちゃんだから仕方ない。赤ちゃんのすることにイライラするなんて大人気ない。だから耐えよう。耐えなくちゃ。耐えろ。耐えろ!

「痛いってば!いい加減にしてよ!!」

0歳児に本気で切れてしまった。そして一度切れた堪忍袋の緒は繋ぎ直しても簡単に解けてしまうもの。その後も私は度々娘にきつく当たってしまった。寝かしつけで背中や胸をトントン叩く手に力が入ることもあった。私は娘を虐待してしまうんじゃないか、いやもうこれは虐待なんじゃないかと自分が怖かった。