こじらせ母の育児と育自

高齢出産のち、2歳差姉弟の育児。

救世主現る

4ヶ月健診の日を境に、娘はとても穏やかな育てやすい子になった。寝付きもよく、ご機嫌な時間が増え、奇声を上げたり、泣き叫ぶこともなくなった。やっと笑顔で娘の成長を見守れるようになった。私にとってあの保健師は恩人だ。

…というドラマのような急展開は残念ながらなかった。むしろ娘が起こす台風は月齢と共にパワーアップしていった。お座り前の5ヶ月、はいはい前の7ヶ月と荒れに荒れ、一段落するかと思いきや、8ヶ月になると今度は成長し過ぎた身体に頭がついていかないのか、昼間の癇癪に加えて夜泣きと夜遊びが始まった。
私はといえば。そんな娘に相変わらず翻弄されていたけど、「これは娘の個性なんだ」とまず受け止められるようになってはいた。そして周りの力を借りることに後ろめたさを感じなくなってもいた。こんな端から見れば当たり前で些細なことも、保健師の言葉がなければ私は何も気付けなかったし、何も変わらなかっただろう。だから、やっぱり私にとってあの保健師は恩人であることに変わりはない。

とはいえ、現状打破するのは自分次第。結局、最初の一歩を踏み出す勇気がなかなか出ず、私が重い腰を上げられたのは娘が6ヶ月になってからのことだった。
娘が私と夫以外の人に関わることと、私が娘と夫以外の人に関わることに慣れるために、ひたすら外に出て人と会うことにした。泣かれる不安からずっと足が向かなかった育児支援センターや地元の育児サークルに行ってみた。少しでも娘がリラックスできればとベビーマッサージ教室にも参加した。
色々な場所で色々な人と関わるうちに、娘が誰でも彼でも何でもかんでも泣くわけではないことがわかってきた。自分と同じ赤ちゃんや小さい子とそのお母さんには親近感からか泣くどころか自分から近寄っていく。逆に苦手なのは人見知りの娘とは真逆のフレンドリーな年配女性。町中で「あらあ〜かわいい!何ヶ月?」とベビーカーを覗き込む年配の女性。「慣れてるから大丈夫よ〜!」と娘が泣き叫んでも怯まないベテランの保育士、女医、看護師。夫の母、私の祖母もこのタイプ。顔を見るだけで大泣きする。
赤ちゃんは子ども慣れしている人には懐くものだと思っていた。でも、赤ちゃんにも人の好みや相性がある。実際、娘は全く子ども慣れしていない私の弟や強面の叔父を見ても泣かなかった。
家に2人でいたら絶対に気付かなかった。好きなもの、嫌いなもの、楽しいこと、苦手なこと。娘のことは何もかも知ったつもりでいたけど、外に出ると思わぬ発見がある。そういう発見を積み重ねていくことは、娘を育てる世界でひとつだけの育児書を作り上げていくようで、大変だけど面白かった。

そうこうしているうちに、早過ぎた人見知りと後追いは少しずつ落ち着いていった。ちょうど娘が成長するタイミングではあったのだろうけど、実は、この時期から通い始めた小児鍼の効果も大きかった。これまたあまり赤ちゃん受けしないであろう男の先生ながら、娘との相性が抜群に良くて今もお世話になっている。保健師が恩人なら、さしずめこの先生は私たち親子の救世主だった。