私はこの子の母親
私はまるで怪我をした小さな子どもが母親に泣きつくように、次から次へとこれまでの経緯や自分の思いを話した。保健師は黙って話を聞いてくれた。話し終えるとこんな話をしてくれた。
「赤ちゃんにはね、誰が育てても育てやすい子が2割、普通の子が6割、癇の強い育てにくい子が2割いるって言われてるの」
「こういう子は生命力が強いんだよ。物事の変化に敏感で好き嫌いがはっきりしているけど、しっかり自己主張できる芯が強い子になるよ!その分お母さんは大変なんだけどね」
目から鱗が落ちるようだった。それは多分何の根拠もない気休めや励ましだ。でも育児書にもなく、母親学級で教えてくれることもない苦しい育児生活が確かにあることをこの保健師はわかってくれていた。救われる思いだった。私は胸にずっとつかえていた思いを吐き出した。
「娘が育てにくい子だとしても、ちゃんと産んであげられてたら違ったのかなって思うんです」
と。
元気な産声を聞けず、産んですぐに抱っこもできなかった。お腹がぺったんこになったのに、赤ちゃんがいない。思い描いていた出産、産後の生活とはかけ離れた毎日。母親になった喜びより喪失感の方が強かった。母親になった実感がないまま育児が始まってしまった。
だからちゃんと産めていたら、親子のスタートをよーいどんで切れていたら、私は娘のことをしっかり受け止めてあげられたかもしれない。娘も穏やかでいられたかもしれない。
「そうか、そうなっちゃうか…。そりゃ元気に産んであげたかったよね。でもね、お母さん」
保健師は私の背中に手を当てて続けた。
「泣いたり、暴れたり自己主張が強いのはこの子の個性でお母さんのせいじゃない。お母さんは頑張ってるよ」
と。
ずっと自分のせいだと思っていた。もっとこうした方がいい、それはしない方がいいとアドバイスされる度に自分の育児や娘への愛情を否定された気がして自信を無くしていた。
入院中の娘に少しでも母乳を飲ませてあげたくて、アラームを鳴らして3時間毎に搾乳した。娘の写真を見ながら搾るとよく出た。骨盤はガクガクで歩くと会陰切開の傷が痛む産後の身体で、真夏の炎天下の中を毎日娘に会いに行った。娘といる時は不思議と眠気も痛みも暑さも感じなかった。
その時は出産という一大事でアドレナリンが出ているからできることなのだろうと思っていた。でも違った。私を動かしていたのはなけなしの母性だ。そしてあれは私なりの精一杯の愛情表現だった。
「お産大変だったけど、今こんなに元気じゃない!お母さんがちゃんと応えてくれるってわかってるから泣くんだよね。お母さんのこと大好きなんだよね」
他の親子は皆帰ってしまって撤収作業も始まっていたけど、保健師は私たち親子が落ち着くまでそばにいてくれた。
この日、この保健師のおかげで初めて、そしてようやく「私はこの子の母親なんだ」と思えた。