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うちの娘は育てにくい

癇の強い子=いわゆる“育てにくい子”の育児日記

こじらせ母

「あと10歳若かったら…」と娘を育てている中で時々思ってしまうことがある。大体疲れている時だけど、すぐに疲れるのに回復がとにかく遅いのはやっぱり年齢によるところが大きいと思う。

妊娠した時、30代後半という年齢に不安がなかったわけではない。でも体力や健康には自信があってそれが不安を上回っていた。今となってはそんなの何の根拠もないただの過信。高齢であるというだけで妊娠も出産もハイリスクだと言われるのは間違いではないのだと身を以て知った。

元々子宮筋腫持ちで妊娠4ヶ月頃から頻繁にお腹が張るようになった。それが5ヶ月で炎症(子宮筋腫の変性)を起こし、切迫早産になりかけ入院。入院中は点滴に内服、退院後は臨月まで週1で注射と薬漬けの毎日だった。お産は陣痛が弱いまま進まず促進剤使用。
そんな決して快適とは言えないお腹の中で娘は頑張ってくれた。きっと頑張り過ぎてしまったのだろう。生まれてきた時羊水を吐き出せず上手く泣けなかった。お産の過程で何かの菌に感染したらしく肺炎を起こしていたので、カンガルーケアどころか顔もろくに見られないままNICUに入院になってしまった。

私は自分を責めた。妊娠中もお産も娘に大変な思いをさせたのに、私は娘を元気に産んであげられなかった。入院中は泣いてもすぐにおっぱいをあげたり抱っこもしてあげられない。かわいそうなことをしていると。
だから12日間の入院を経て退院した時、夫とふたりで「ここまでずっと頑張ってきたんだからこれから沢山抱っこして甘えさせてあげよう」と決めた。

けれど、この決意が自分の首を締めることになった。産後の私は娘をちゃんと産んであげられなかったこと、思い描いていた出産、産後の生活ができなかったことの後悔とショックで自分が思う以上にがんじがらめだった。娘が寝ずに泣き続けるのはちゃんと産んであげられず、入院中に寂しい思いをさせたからだとこじつけるようになった。私を母親だと思っていないのかもしれないと落ち込みもした。
そして思った。「あと10歳若かったら」と。ちゃんと産んであげられたかもしれないし、娘はこんな風にならなかったかもしれないと。

この勝手な思い込みのせいで娘に純粋な愛情や愛着を持てるまでに時間がかかってしまった。娘が育てにくい子なら、私は母親をこじらせた母だった。