こじらせ母の育児と育自

高齢出産のち、2歳差姉弟の育児。

育てにくい子と言われた日

ちょっとした物音への過剰反応、激しい人見知りに場所見知りと環境の変化に敏感な娘。それ以上に自分の変化や成長にもとても敏感だ。何か大きな成長がある前はことごとく荒れる。
首座り、寝返り、お座り、はいはいができるようになる前はぐずりや奇声が余計に酷くなった。でもそれらができるようになると、達成感や満足感からか憑き物が落ちたように穏やかになる。
それは台風の目の晴れ間のようなわずかな時間で、結局嵐の前の静けさに過ぎないけど、その時間こそ先に書いた2割の楽しさを感じる貴重な時間だった。

4ヶ月健診に行ったのは寝返りが打てるようになり、その台風の目の中にいる時だった。寝返りで運動量が増えたからか夜の寝かしつけに時間がかからなくなったし、夜中起きる頻度も減った。コンビニやスーパーでも無闇に泣かなくなり、「もしかして一番辛い時期は終わったのかも」と淡い期待を抱く程楽だった。

健診当日。待ち時間が長くなると確実にぐずると踏んで受付時間ギリギリに行った。待合室に入ると、娘と同じ月齢の赤ちゃんとお母さんたちがカーペットの上で思い思いに寛いでいた。穏やかな光景。和やかな雰囲気。
それなのに娘は泣き叫んだ。予想外だった。泣いたことがではなく、泣くのがこのタイミングということが。
部屋中の視線が私と娘に注がれた。耳をつんざくような娘の泣き声に驚いて泣き出す子もいた。私は居た堪れなくて、小声で「すみません」と言って頭を下げながら娘を宥めた。座ろうとすると泣くので、健診の説明をひとり立ったまま聞いた。

私は平静を装ってはいたけど、かなり動揺していた。受付でもらった番号札は36番。ということは、この日集まった赤ちゃんは多分40人前後。予防接種の時よりさらに沢山の赤ちゃん。しかも同じ月齢の。その中で泣いているのは娘だけというのはショックだった。台風の目の青空はやはり長くは続かなかった。

結局、娘は健診中ずっと泣いていた。診察の時には看護師が押さえつけるほど暴れて泣いた。何か気になることはないかと言われてすかさず、

「普段からこんな風に激しく泣いたり暴れたりするんですけど、何か障害があるんじゃないかと心配で…」

と尋ねた。小児科医は、

「元気があるだけ。障害なんてこんな月齢で気にするものじゃない」

と全く取り合ってくれなかった。
健診が一通り終わり、待合室に戻ると娘がまた泣き出した。泣き続ける娘。和やかな周りの親子。ぶっきらぼうな対応の小児科医。そして娘を泣き止ませられない自分。何もかもが嫌になった。ああ、もうだめだ。早く帰りたい。すっかり意気消沈し、抱っこ疲れもあって娘を惰性であやしていると、

「こんにちは。少しお話聞かせてくださいね」

と、ひとりの保健師が来た。健診の最後に聴き取りをすると言う。
話をしたところでどうせ「赤ちゃんは泣くのが仕事」的子育て常套句を並べ立てるだけでしょ。精神論、根性論はもう沢山。ここにいたら泣き止まないんだから早く帰らせてよ。
と、口には出さないけど、私は取り繕いもせず投げやりな態度を露わにした。保健師はそんな私を知ってか知らずか、

「ごめんなさいね、ずっと泣いてるのわかってたからもっと早く声を掛けてあげたかったんだけど、今日は職員が少なくて手が回らなくて」

と言い、そしてこう続けた。

「この子は育てにくい子かもしれないね」

と。
ストレートな表現に一瞬戸惑った。でも、ずっと私の中にあった違和感をはっきり言葉にしてくれたことは、むしろ上辺だけの優しさや偽善ではないと思えた。私は聞かれもしないのに、娘が生まれてからのことをその保健師に話した。

辛さ8割、楽しさ2割

予防接種以来、私は新たな不安で頭がいっぱいだった。娘は何か障害があるのではないか、と。
私はまた検索魔になった。キーワードは「赤ちゃん 自閉症」、「赤ちゃん 発達障害」。検索すると私と同じような不安から質問している人が沢山いた。回答には当事者のご家族が赤ちゃんの頃の様子を書いていたり、障害の特徴や傾向を挙げていた。目が合いにくい。睡眠障害の傾向がある。感覚過敏。多動。娘に当てはまる項目を見ては、

「やっぱりそうなのかもしれない…」
「小児科や保健センターに相談しようかな…」

と落ち込み、娘に当てはまらない項目を見ては、

「ただ元気が良過ぎるだけだ!
「この月齢じゃ診断もつかないから心配しても仕方ないや!」

と吹っ切った。安心したくて検索したのだからそれで終わりにすればいいものを、なぜかまた不安になる情報をわざわざ見てしまう。思考と感情が日替わり、いや時替わりでネガティブとポジティブを行ったり来たりしていた。
情報収集は占いみたいなものだ。良い結果だけを信じられればいいけど、良くない結果に気を病むくらいなら何も知らないままの方が幸せだったりする。

そういえば、新生児訪問の時に助産師に授乳方法をダメ出しされた。初めての育児で右も左もわからず自分のやり方に自信がなかった私は、ダメ出しをあっさり鵜呑みにした。まさに占い師に洗脳された信者のように。そして言われるがまま助産師のやり方を即実践したら、それまで不器用ながらも頑張って飲んでくれていた娘が全然飲まなくなって、私は乳腺炎になった。

本当に不安なことがあれば育児相談なり病院なりに行って然るべき専門家に見てもらうのが一番だし、誰に何を言われようとその親子に合ったやり方がある。最近ようやくそう思えるようになった。
でもこの頃の私はネット検索の深みに嵌まり、人の意見に流され、氾濫する情報に飲まれ溺れていた。妊娠中に待ち焦がれていた娘との暮らしは、8割辛くて残り2割の楽しささえ見失いかけていた。娘の行動をいちいち不安と疑いの目でしか見られなくなり、検索、検索で携帯の画面を見ている時間が増えた。かわいい仕草や表情に目がいかなくなっていた。そんな私の側にいた娘こそ、8割辛い日々を過ごしていたことだろう。

こんな半分ノイローゼの状態は娘が4ヶ月過ぎまで続いた。

喃語で空耳アワー

娘はキーキー、キャーキャー以外にも1日中何かしら喋っている。ひとり遊びしながらずっと喋っている。

「バッパ!バッパ!」
「まんまんまんまん」
「あうあ〜あうあ〜」

という喃語をひたすら繰り返すこともあれば、

「※△$○×¥?…&〆%◻︎!」

などと宇宙語で誰かと会話しているような時もある。そんな娘の言葉がたまにミラクルを起こす。

「あんまんま!あんまんま!」

と言う娘の手にはアンパンマンのボールが握られていた。つかまり立ちする時には、

「んちょ!んちょ!」

と掛け声で気合いを入れ、ご飯の支度をしていると、

「まだー!まだー!」

と催促する。

「うちの子喋れる!」

と思った。だってテロップあれば10人中8人はそう聞こえるレベル。

うかれたっていいじゃないか
おやばかだもの

それはつまりテロップがなければ所詮宇宙語。空耳ア〜ワ〜♪
というか同じシチュエーションで同じ発語がない時点でただの偶然。でも一生懸命喋る練習をしているのは確か。これがあと3年くらいしたらある程度会話できるようになるんだから、子どもの脳の成長と耳の良さはすごい!

比べられない不安。比べてわかった事実。

母娘でずっと家にこもりきりなのが良くないのかもしれないと思い、生後1ヶ月からベビーカーで散歩に行くようになった。近くのコンビニまで行って帰って30分くらい。
散歩中は泣いたり叫んだりしなかった。ぼんやりした視力だったろうけど、目をキョロキョロさせて興味深そうにしていた。私もいい息抜きになった。おやつや飲み物を買ったり、何より店員さんと簡単な会話をするだけで生き返る思いがした。私は「この子は外が好きなんだ」と、初めて娘が楽しめるものを見つけることができて嬉しかった。30分だった時間は1時間になり、時には2時間くらい歩き続け、午前と午後の2回出掛けることもあった。散歩中はふたりで穏やかな時間を過ごせた。

2ヶ月を迎えて予防接種を受けに行った。小児科までの道中はいつもの散歩と同じように大人しかった。ところが小児科に入った瞬間、娘はみるみる顔が引き攣り歪み、金切り声をあげて泣き叫んだ。まだ何もしていないのに明らかに怯えて泣いていた。注射される時には暴れて泣き入りひきつけを起こした。
それでも私にしてみれば家にいる時のいつもの娘の泣き方だし、病院で注射されるなんて大人でも嫌なものだから仕方ないと驚きはしなかった。でも、

「いつもこんな?」

という看護師の言葉で不安のスイッチが入ってしまった。

「…いつもこんな感じです」

と答えた。私はとにかく娘を褒めてなだめた。でもなかなか泣き止まない。まだロタウイルスの生ワクチンが残っている。私は焦った。

「すごいわね〜!それじゃ飲ませられないからちゃんと泣き止ませてね」

追い討ちをかけるように看護師が言った。今思えばその看護師は笑っていたし、たぶん「手が掛かって大変ね」という意味で出た言葉なんだと解釈できるけど、その時の私は「育て方が悪い」と言われているように感じてしまった。そんな時にふと周りを見れば、娘以外の子は大人しく抱かれ、注射を打たれて泣きはしてもすぐに泣き止んでいた。

産後すぐに娘が入院していたこともあり、同じくらいの月齢の子やお母さんたちと同席するのは実はこの日が初めてだった。それは望んでいたことだった。でもすぐに後悔した。他の子と比べるのは良くないと思いつつ、「なんでうちの子だけ…」と思ってしまったから。「赤ちゃんはみんな泣くし、お母さんはみんな大変」という色々な人からのアドバイスに「本当に他の赤ちゃんもお母さんも私たちと同じなの?」と疑問に思いながらも、比べる子がいなかったこれまでは何とか踏み止まっていた気がする。それがそうではないことを初めて目の当たりにして、漠然としていた不安は比べることでくっきり浮き彫りになった。「育てにくい…」と。

この日を境に娘の人見知りと場所見知りが始まった。それからはコンビニやスーパーでも大泣きするようになり、散歩も近所をぶらつくのが精一杯になった。そして私も家の中でも外でも娘がいつ泣くかビクビクするようになり、段々人と関わることを避けるようになっていった。

孤育て

悩みや問題はそれがあること自体ストレスになる。でもその理由や原因がわからないことはよりストレスになる。どうにか解決しようにも原因がわからなければお手上げだ。娘がなぜ寝ずに泣いて暴れるのかが知りたかった。どうすれば落ち着くのかも。といっても周りに相談できる知り合いはおらず、情報源はもっぱらネット。娘が比較的寝る夜中に検索魔になった。

「赤ちゃん 寝ない」、「赤ちゃん 泣き方激しい」、「赤ちゃん 暴れる」で検索。私と同じような悩み相談が沢山あった。回答には、おむつやおっぱいでなければ暑さや寒さのせいではないか、具合が悪いのではないか、ゲップが出なくて苦しいからではないか、などのよくあるアドバイス。その通り。でもそれで解決しないから悩んでいる。
「赤ちゃん 寝かしつけ」で検索。胎内環境に近づけると良いとある。おくるみに包んだり、スーパーの袋をガサガサさせたり、シーッと声を出したり。娘が好きな抱っこの縦揺れスクワットもネットで知った。明かりを消し、子守唄を歌い、眠くなるオルゴールをかけた。寝そうで寝ない。寝なかった。

ネット以外で頼れるのは遠方に暮らす実家の母。里帰りしなかったので、たまに泣きついては家事育児を手伝ってもらっていた。
 
「構い過ぎなんじゃないの?」
「ちょっと位放っておいても大丈夫よ。泣かせた方が肺が強くなるって言うよ」
「お母さんが寝かせよう、泣かないようにしようって神経質だと赤ちゃんに伝わるよ!笑顔!笑顔!」

そう言って母が寝かしつけると確かに娘は寝た。

生後1ヶ月の新生児訪問の助産師にも相談してみた。

「よく泣くのは元気な証拠だよ。赤ちゃんは泣くのが仕事だからね」
「睡眠が足りてないことはないから大丈夫だと思うわよ。本当に眠い時は寝るから」
「他のママたちも同じだよ。みんな頑張ってるよ」

そう言って助産師が寝かしつけるとやっぱり娘は寝た。

新生児訪問で産後うつを心配されたのか、今度は保健師がやってきた。

「うんうん、わかります!大変ですよね〜。眠れないと辛いですよね〜。私でよければお話し相手になりますよ〜」

と、親身になってくれるこの保健師。悪い人ではないけど育児経験がなかった。
が、娘は泣かずに抱っこされていた。

実際、新生児の頃は私以外の人の方が構う方が娘は落ち着いていた。ところが、母や助産師、保健師が帰り、ふたりきりになると途端に泣き出す。
「私のことが嫌いなのかもしれない」と思った。「私がちゃんと産んであげなかったから…。寂しい思いをさせたから…」だと。自責の念はいつしかネガティブな自己暗示になっていった。原因は自分。泣けばとにかく抱っこをする。それが解決策。だから母が言うちょっと放っておくということは、私にしてみれば自分の怠慢でしかなかった。

もちろん母が私を心配して励ましてくれていることはわかる。私も弟も「手がかからない子だった」と言う母は、自分が子育てしていた時を思い出してアドバイスしてくれているのだろう。アドバイスは大体自分の経験則からするものだから。助産師も保健師もそうなのだろう。そう考えてふと思った。
今、同じくらいの月齢の赤ちゃんを育てている人はどんな感じなんだろう?娘と同じような子はいるのかな?そうか、私は解決策を知るよりも私と同じようなことで悩んでいる人と「そうだよね!」、「わかる!わかる!」と共感し合いたいんだ。
でも、悲しいかな。ネットでも現実でも娘と同じような子、そういう子を育てているお母さんとは知り合えなかった。子育ては孤育てとは上手いこと言う人がいるなあ。確かに私は孤独な子育てをしていた。

お姉さんの卒業式

朝、おかあさんといっしょのたくみお姉さんが卒業の挨拶をしていた。子どもにショックを与えないように明るく笑顔でお別れを伝え、新しいお姉さんの紹介もしていた。送り出すお兄さんたちも2人のお姉さんたちとはみんな友だちなんだよとしっかりフォロー。さすが教育テレビ。さすが子どもたちのアイドル。
娘は「お姉さんがもう1人増えた♪」とでも思っているようでにこにこしていたけど、私はもう寂しくて寂しくて。そうしたら、このタイミングで「ありがとうのはな」を合唱しちゃった。母ちゃん、堪らず涙、涙、鼻水…。

娘とおかあさんといっしょを見るようになってまだ半年くらいだけど、育児が一番辛い時からお姉さんの歌に癒され、励まされてきた。ここ2ヶ月くらいで娘の笑顔はぐっと増えた。ついでにたかが子ども番組と斜に構えていた夫も、最近は歌を口ずさむようになっていた。

娘を通して改めて見る子ども番組に童心に返りながら、私は母親らしく、夫は父親らしくなれた気がする。なるほど、教育テレビは親を教育するテレビでもあった。

テレビ越しであっても言いたい。
たくみお姉さん、ありがとう。あつこお姉さん、これからお世話になります。

…そんな母ちゃんに娘、引き気味。見ちゃいけないものを見た後みたいなよそよそしさでひとり遊びを始めた。ええ、ええ、あなたの卒園、卒業式も泣きますとも。

最近、専業主婦でいることがちょっぴり肩身が狭い

一億総活躍社会って専業主婦じゃ活躍できませんか?輝けませんか?私は今、専業主婦で仕事はしていないけど、活躍したいし輝きたいと思っています。

そう、例えるなら働く人が輝く金なら専業主婦はいぶし銀。夫や子どもが輝けるようピッカピカに磨き上げているんです。でも専業主婦を磨いてくれる人はいないからセルフケアです。だからちょっとくすんでいます。

働いていない私と娘の分、夫が一生懸命働いて社会的な義務と役割を果たしてくれています。私はそんな夫が心置きなく仕事に取り組めるよう、家事をすることでサポートしています。そしてあと20年後くらいに社会に貢献できるよう娘を育てています。

ただ、私は今までしていた仕事が好きです。また働きたいと思っています。でもそれは娘が自分で食事をしてトイレに行けるくらいに成長してからの話。どうかそのくらいまでは育児に専念させてください。

働いている女性、専業主婦の女性。どちらかが生きにくくなる世の中であってほしくないです。保育園が沢山あったとしても敢えて働かない選択をする人もいます。経済的に困窮していなくても敢えて働く選択をする人もいます。どんな生き方を選択しても誰もが幸せになれる一億総幸福社会になるように。国や政治を変えるなんて大袈裟にしなくても、みんながお互いを尊重し合えば変わることもあるような気がします。