こじらせ母の育児と育自

高齢出産のち、2歳差姉弟の育児。

お姉さんの卒業式

朝、おかあさんといっしょのたくみお姉さんが卒業の挨拶をしていた。子どもにショックを与えないように明るく笑顔でお別れを伝え、新しいお姉さんの紹介もしていた。送り出すお兄さんたちも2人のお姉さんたちとはみんな友だちなんだよとしっかりフォロー。さすが教育テレビ。さすが子どもたちのアイドル。
娘は「お姉さんがもう1人増えた♪」とでも思っているようでにこにこしていたけど、私はもう寂しくて寂しくて。そうしたら、このタイミングで「ありがとうのはな」を合唱しちゃった。母ちゃん、堪らず涙、涙、鼻水…。

娘とおかあさんといっしょを見るようになってまだ半年くらいだけど、育児が一番辛い時からお姉さんの歌に癒され、励まされてきた。ここ2ヶ月くらいで娘の笑顔はぐっと増えた。ついでにたかが子ども番組と斜に構えていた夫も、最近は歌を口ずさむようになっていた。

娘を通して改めて見る子ども番組に童心に返りながら、私は母親らしく、夫は父親らしくなれた気がする。なるほど、教育テレビは親を教育するテレビでもあった。

テレビ越しであっても言いたい。
たくみお姉さん、ありがとう。あつこお姉さん、これからお世話になります。

…そんな母ちゃんに娘、引き気味。見ちゃいけないものを見た後みたいなよそよそしさでひとり遊びを始めた。ええ、ええ、あなたの卒園、卒業式も泣きますとも。

最近、専業主婦でいることがちょっぴり肩身が狭い

一億総活躍社会って専業主婦じゃ活躍できませんか?輝けませんか?私は今、専業主婦で仕事はしていないけど、活躍したいし輝きたいと思っています。

そう、例えるなら働く人が輝く金なら専業主婦はいぶし銀。夫や子どもが輝けるようピッカピカに磨き上げているんです。でも専業主婦を磨いてくれる人はいないからセルフケアです。だからちょっとくすんでいます。

働いていない私と娘の分、夫が一生懸命働いて社会的な義務と役割を果たしてくれています。私はそんな夫が心置きなく仕事に取り組めるよう、家事をすることでサポートしています。そしてあと20年後くらいに社会に貢献できるよう娘を育てています。

ただ、私は今までしていた仕事が好きです。また働きたいと思っています。でもそれは娘が自分で食事をしてトイレに行けるくらいに成長してからの話。どうかそのくらいまでは育児に専念させてください。

働いている女性、専業主婦の女性。どちらかが生きにくくなる世の中であってほしくないです。保育園が沢山あったとしても敢えて働かない選択をする人もいます。経済的に困窮していなくても敢えて働く選択をする人もいます。どんな生き方を選択しても誰もが幸せになれる一億総幸福社会になるように。国や政治を変えるなんて大袈裟にしなくても、みんながお互いを尊重し合えば変わることもあるような気がします。

暴れる子

娘はよく動く。大人しいのは寝ている時だけ。おもちゃを掴んでは投げ、握っては舐め。はいはいもずり這いもまだなのに、手頃な高さのテーブルやソファを使ってつかまり立ちの自主練に励んでいる。思えば新生児の頃は動き過ぎてしょっちゅう布団から落ちていたし、入院中の保育器の中でも自転車を漕ぐように脚を動かしていた。胎動が激しくて生まれる直前まで蹴っていたし、それこそまだ数センチしかなかった胎児の頃から手足をバタつかせていた。
エコーを見る度、お腹を蹴られる度、元気が一番と微笑ましく思っていた。でも生まれてからは元気も過ぎたるは及ばざるが如しなのかもしれないと思うようになった。

抱っこしても暴れるから、しばらくはおくるみが必須アイテムだった。今はもうくるめない。というか、くるんでも飛び出す。それはもう大胆かつ華麗。イリュージョンで脱出した引田天功か、さなぎから生まれるモスラか。腱鞘炎になったのは首を支えたからだけじゃない。活きの良い獲れたてピチピチのかつおを常に抱き続けると思ってもらえるとわかりやすいと思う。
2ヶ月の終わり頃になると授乳中でも暴れるようになった。遊び飲みなんてかわいいものじゃない。飲みながら蹴るわ殴るわの正に暴れ飲み。乳首は切れるし、飲み残しで乳腺炎になるしで授乳が荒行にしか思えなかった。
4ヶ月になる頃、奇跡的に夜だけ添い寝で寝かしつけられるようになった。が、少し楽になったのも束の間、寝返りができるようになると寝入り端にひと暴れするようになった。泣かないけど暴れる。布団を剥いだり、寝返りしたり、となりで寝たふりをする私の顔をバチバチ叩き引っ掻き、髪を毟る。それも嬉しそうに。どSなのか?と冗談半分、何か障害があるんじゃないか?と不安半分だった。

赤ちゃんだからまだわからない。赤ちゃんだから仕方ない。赤ちゃんのすることにイライラするなんて大人気ない。だから耐えよう。耐えなくちゃ。耐えろ。耐えろ!

「痛いってば!いい加減にしてよ!!」

0歳児に本気で切れてしまった。そして一度切れた堪忍袋の緒は繋ぎ直しても簡単に解けてしまうもの。その後も私は度々娘にきつく当たってしまった。寝かしつけで背中や胸をトントン叩く手に力が入ることもあった。私は娘を虐待してしまうんじゃないか、いやもうこれは虐待なんじゃないかと自分が怖かった。

おかあさんもいっしょ

最近になって娘は家族以外の人の顔を判別できるようになって記憶力もついてきて、お気に入りの人や物、歌ができた。特におかあさんといっしょのたくみお姉さん。お姉さんが映ると身を乗り出して大興奮。家族以外の人があやしてもほとんど笑わない人見知りの娘が、

「きゃーーー!※$☆*¥×!」

と大歓声を上げてちっちゃい手をひたすら叩く。時々叩き損ねる。そしてお気に入りの歌が流れると独特なリズムで揺れる、弾む。もうアキバのアイドルファン張り。番組自体も楽しんでいるけど、そんな娘を見ているのが楽しくて面白くて毎日テレビをつける。

最初にテレビをつけたのは娘が2ヶ月頃だったと思う。それまでは赤ちゃんに悪影響だからと娘の前ではテレビをつけずにいた。でもある日どうしても泣き止まない娘にお手上げで、とうとう禁断の果実に手を出すような気持ちで仕方なしにつけた。まだ視力もはっきりしていなかったけど、楽しげな音楽は聞こえたのか娘は泣き止んだ。私はとりあえず娘が泣き止んでほっとした反面、御法度のテレビを見せてしまった罪悪感で楽しむ余裕なんてなかった。
それに育児疲れでローテンションだった私は、お兄さんとお姉さんたちのキラキラしたあのハイテンションにすっかり当てられていた。おかあさんといっしょを娘と一緒に観るというシチュエーションに馴染めていなくて、何とも言えない気恥ずかしさで居心地が悪かった。

そんな私にも響いたのがお兄さんとお姉さんが歌う歌だった。覚えやすいメロディーは耳馴染みが良くて、何気ない歌詞にたまにハッとさせられたり、じーんとしたり。じーんどころか号泣することもあった。娘をあやすために見始めたものにいつの間にか自分が元気付けられていた。
そのうちに歌を覚えて歌ってあげると娘が喜ぶようになった。まだ話せないけど目をキラキラさせて手足をばたつかせて「もっともっと!」と催促する。
そんな娘をもっと喜ばせたくて新しい歌を覚えたくて、今やおかあさんといっしょ、いないばあ、えいごであそぼの教育テレビのゴールデン3番組をはしご。お兄さんとお姉さんほどのキラキラ感は出せないけど、娘の前で歌ったり体操したりする。
それにしても今のお兄さんお姉さんたちは芸達者。私が子どもの頃は歌の上手い優しい人たちだったけど、今はノリツッコミしたり変顔をしたり、かぶり物に女装までする。そのプロ根性とコメディアン、コメディエンヌ振りに脱帽。かぞえてんぐでのだいすけお兄さんのはじけっぷりなんて清々しいくらい。

赤ちゃんにテレビを見せると、喋らない子になるとか感情が乏しい子になるとか聞いておっかなびっくりだったけど、今のところ娘は喃語が沢山出るし、感情は豊か過ぎるくらい。もちろん見過ぎるのは絶対に良くないけど、気にし過ぎたらストレスになる。母子ふたりでいたらどうしても行き詰まる時間はある。そんな時、テレビをつけてほんの少しでも和んだり気が紛れるなら悪い影響ばかりじゃないと思う。親子で同じものを見て弾むコミュニケーションだってある。だから視力には気をつけながら、今日も娘とおかあさんもいっしょに楽しむ。

泣く子

泣くことは話すことができない赤ちゃんの唯一の意思表示。お腹が空いた、眠い、おむつが気持ち悪い、暑い、寒い…と何かあれば泣く。そして、「あのね、えっとね、なんかよくわからないけど泣きたい気分なの…」とでも言わんばかりに何もなくても泣く。とにかく赤ちゃんは泣く。泣くといえば赤ちゃん。世のお母さん、お父さんたちは何とか泣き止ませたくてあやしたり抱っこしたりするけど、泣いている理由がわからなくて何をしても泣き止まなくて途方に暮れた経験は、誰でも一度はあると思う。

 
娘はそれが常だった。何をしても泣き止まない、というよりも何をしても泣くと言う方がしっくりくる。赤ちゃんの泣き声は欲求そのものをぶつけてくるから、ただでさえ訴える力がとても強いけど、娘はさらに激しかった。空腹やおむつの訴えはあまりなく、不安や不快感を訴えることが多いように思う。寝付きと寝起きの悪さに混乱し、音に驚き、環境の変化に戸惑い、思うようにならないと苛立ち、その度に激しく泣いては日に何度も泣き入り引きつけを起こした。
 
騒音や爆音ではなく、ごく普通の生活音で娘は寝ていても起きていても慄いて泣き叫んだ。紙袋やビニール袋を取り出した時、炭酸飲料を開栓した時、カーテンを閉めた時、携帯のバイブレーションが鳴った時なんかだ。段々私の方が神経質になって娘が寝ている時はできるだけ動かず、トイレの水も流さずにいたくらいだった。
2ヶ月頃から人見知りと場所見知りのようなものと後追いならぬ後泣きをするようになった。どれも2ヶ月ではまだそうならないというから、私を母親だと認識し始めてから他の人に対する警戒心が芽生えたとでも言うか。私以外の人の抱っこは拒否。散歩がてらに立ち寄るスーパーやコンビニに買い物に行くだけで泣く。道行く人や店員さんに話しかけられようものなら、この世の終わりのような悲鳴を上げる。健診や予防接種に至っては言わずもがな。
私の姿が見えないと泣く。はいはいやあんよができれば後追いするのだろうけど、2ヶ月の娘は泣くしかない。トイレに行ったり、キッチンの死角に入る時はまた泣かれるのかとビクビクしていた。
さらに気に入らないことがあるとすぐに癇癪を起こす。あやし方がツボではない。おもちゃを思うように動かしたり触れない。自由に動けない。すると顔を真っ赤にして金切り声を上げて泣き出す。
 
こんな調子で新生児の頃は起きている時間の8割は泣いている子だった。そんな娘に付きっきりでいなくてはならないストレスで私も一緒によく泣いた。
 

3月11日

東日本大震災から5年。
あの日、私は被害の大きかった地域からは離れた場所に住んでいて、いつもより随分長く大きな地震に何とも言えない不安を感じながら速報を見ようとテレビをつけた。震源地は東北。とてつもない規模の地震。そして津波。その様子を伝える映像を見た時、重苦しい感情に飲み込まれ言葉を失った。

日本全土が、そして日本の全ての人の心も文字通り大きく揺さぶられた地震。もしも私が被災したら。大切な人を亡くしたら。自分の命が奪われたら。想像しては自然の力の前での人の無力さに打ちひしがれた。
でも今、あの日はいなかった娘がここにいて、絶対に守るし、生きてみせると思うようになった。もちろん、こんな大災害がもう二度と起こらないことが一番だけど。

どうか被災した方がこの先はもう悲しまずに暮らせますように。そして亡くなった方が安らかに眠れますように。

寝ない子

「新生児期の赤ちゃんは1日の大半を寝て過ごします」とか「赤ちゃんがお昼寝している時にママも一緒にお昼寝しましょう」とか。育児本やネットの情報はすべての子がそうであるかのように言う。けれど、少なくとも私にとってはそんなものは都市伝説でしかなかった。
娘はとにかく寝ない子だった。

背中スイッチ標準装備。オプションに寝てもきっちり30分で起きる高性能タイマー搭載のハイスペック。
新生児期の睡眠時間は16〜18時間。20時間近く寝る子もいるとも言われている中、娘は10時間程度だった。布団での睡眠時間だともっと短い。ゆらゆら横揺れ振り子より小刻みな縦揺れスクワットがお気に入りで、あっという間に膝は関節痛、グラグラの首を支え続ける左手は腱鞘炎になった。
寝かし付けているうちに次の授乳時間が来るから休む間なんてない。泣く、おっぱい、泣く、抱っこ、泣く…のサイクルを何度も繰り返し、布団で寝てくれるのは日に一度あるかないか。一緒にお昼寝なんて娘が生まれてから数える程度しかしたことがなかった。

「退院したばかりで環境が変わって落ち着かないだけ。すぐに慣れるよね」と産後ハイで無我夢中の1週間。「来週には落ち着くよね」と騙し騙しで乗り切って2週間。「この子全然寝ない…」という事実にとうとう目を瞑れなくなってしまって3週間。里帰りしなかったので育児だけじゃなく、家事もこなさなければならない。そこへ連日連夜の寝不足スクワットは育児というより何かの修行をしているようだった。

休日は夫がいてくれるので何とかなったけど、平日はひとり。生後1ヶ月ちょうどの日、ついに限界突破した。私は泣きながら実家の母に電話で助けを求めた。その日はたまたま母の誕生日だったのだけど、「おめでとう」より先に出たのは「もう無理…」という言葉だった。